September 11, 2016

今改めて考えるブルース・スウェディンの録音哲学 〜 Bruce Swedien「A lifetime in the Recording Studio」1989年第87回AESコンベンション 特別講演


音圧競争から適正ラウドネスMIXへさらにHi-Res音楽の流れが出てきた今
改めてかみしめるBruce Swedienの録音哲学

1989年第87回AESコンベンション 特別講演
Bruce Swedien  A lifetime in the Recording Studio
      1021日 9:0018:00  WS-13より




By Mick Sawaguchi
沢口音楽工房/サラウンド寺子屋塾

はじめに
2013年秋頃から、大手レーベルの参入もありHi-Res 音楽が市場をにぎわすようになりました。低迷するパッケージ型音楽ビジネスに何らかの牽引力を持ってくれればと筆者も強く思っています。その鍵を握るのは、これまで行われてきた過剰プロセスと圧縮音源制作のテクニックを単にHi-Resに変換したからといって音楽市場が復活する訳ではないという録音哲学見直しの時ではないかと考えています。POPS音楽の配信サイトやゲーム音響においても適度にレンジを保った耳に優しいダイナミックレンジのコントロールがようやく見直されるようになり、他の曲より自分の曲が大きければ良いというエゴイズムが見直されてきつつあります。その発端は、TV放送におけるCMの過剰音圧競争からくる番組や放送局によるレベルの変動に視聴者がクレームを出し、その結果適正ラウドネス値によるMIXが提唱された経緯があります。

POPS音楽は、現状TV放送で導入した「適正ラウンドネス」にあまり関心を寄せず、ひたすら自分の曲が大きければ良いという考えを踏襲してきましたが、配信サイトが様々な音楽を適正な大きさできくことのできるラウドネスコントロール値「ターゲットレベル」を導入したことで、逆に全編ソーセージ状態の音楽は、大きなラウドネス値となり下げられる結果、逆に本来のメッセージは、十分発揮できなくなります。
おりしも、資料整理をしていた棚からカセットテープが出てきました。1989年第87AESコンベンションN.Yの時にBruce Swedienが丸一日講演したテープです。(当時筆者もW-13に参加し、興奮気味に聞いていたことを思い出します。)


ここで彼が述べている「音楽を録音するという意味」は、まさに今もう一度かみしめるべき多くのヒントがあります。クインシー.ジョーンズとともに永年POPS音楽に貢献してきた彼の哲学と実際を改めて振り返って見たいと思います。




1 講演午前の部 PART-01

B.S:たくさんのみなさんが参加していただき、ありがとう。音を愛してくれるみなさんの前で私の31年にわたるミキサー人生をお話したいと思います。この長い人生の中で数えきれないほどのセッションを行いましたので、ここで全てを紹介できないことをお断りしておきます。ここにくる前のAM2:00までクインシーのアルバムのMIXL.Aで行ってからN.Yに来ましたので急がずスロー.スタートでやりたいと思います。(笑い)

1989年の現在は、デジタルテクノロジーとこれまで築いてきたアナログテクノロジーの共存が可能な時代になったと感じています。ですから私のようなどちらも好きな人間にとっては、大変エキサイティングな時代だと思います。私が、MIXしたサウンドを愛してくれる人々は、「独特のサウンド」が気に入っていると言ってくれます。もうそうであるなら、今からお話する長きに渡る私のミキサー人生の中で自然に培われてきた結果であると思います。

1−1 生い立ちと音楽人生のきっかけ

まず私と音楽、音との出会いについて紹介します。もともと音楽大好き人間で、音楽は私にとって大切な要素であり身体の一部でもあるといっていいくらいです。毎日良い音楽を聴き音楽の背景にある機材やエレクトロニクス技術に興味を持ち生活の殆どをスタジオで過ごしています。それらの中には、最新の技術を取り入れた機材もありますし今やビンテージと呼ばれるようになった昔の機材もありますが、こうした機材も大切に使っています。

新しい機材で今熱をあげているのは、Mac コンピュータで、これは1984年から使い始め今で3世代目になります。私は、音楽の面でも技術的な面においてもチャレンジすることが大好きな人間で、その気持ちを持ち続けていきたいのです。
10歳の誕生日に父は、ディスクレコーダを買ってくれました。これはまだワイアー式のレコーダが出る以前の製品ですが、このオモチャを手にした私は、手当り次第に音楽を録音しました。これが私のミキサー人生の始まりと言っていいでしょう。(拍手)

15歳になると、故郷のミネソタ州ミネアポリスにある小さなスタジオで仕事を手伝うようになり夏休みの大半は、ここで過ごしていました。この時間は、今から思えば貴重な私の基礎を作ってくれたと思います。それは、どんな事かといえば、

「何をしたいのか?」「その実現のためには、どうするのがベストなのか?」を的確に判断し実行できるようになったという点です。

両親は、こうした私のレコーディングに対する情熱を全面的にバックアップしてくれた結果私の部屋は、録音機材であふれる場所になりました。
高校に入るとミネソタの近くのバンドや合唱等を録音しガレージに作った簡易送信機で近所に流したりしました。両親は、クラシックの演奏家でしたので私も8年ほどピアノの勉強をしました。母はコーラスをやっていましたので地元ミネアポリス.シンフォニーオーケストラにも出かけ良くリハーサルから聴いていましたがこの経験は、耳の訓練に大変良かったと思っています。
やがてプロとして地元のクラシックや合唱、バンド、JAZZの録音などを仕事として始めるようになりました。

1957年に結婚しシカゴへ移りました。シカゴではRCAビクターで仕事を見つけフリッツ.ライナー指揮シカゴ交響楽団の録音を手がけました。ここでは、磁気テープの編集方法を学びました。幸運なことにフリッツ.ライナーは録音に大変興味がありレコード制作を楽しんでくれましたので2人で録音したテープを前に編集作業を行いすばらしいレコードを作り上げることができました。
しばらくは、こうしたクラシックの録音をやっていましたが、そのうちクラシックの録音から別の分野へ興味が移っていきました。誤解のないように言えばクラシック音楽は、今も大好きな音楽ですがレコーディングという立場から見れば私に取って段々新たなチャレンジをすることが少なくなってきたと言えます。クラシック録音は、例えていえば教科書から一字一句正確に書き取りをするかのような忠実性が第一だったと言えます。

そこで、音場を自分のアイディアで自由にコントロールでき新しい音楽を創造できる可能性をPOPS音楽に見いだしました。私にとってどのような音場がそのプロジェクトにとってベストなのか?を考えながら仕事をすることがエキサイティングなのです。「Sound of Music」をいかに美しく、おいしく調理し仕上げるかはそれぞれの料理方法で異なる結果をもたらします。このことが私のチャレンジ精神のスイッチに火をつけたのです。That is a real Challenge of Recording POP Musicだと感じたのです。それから現在に至るまでPops Musicのミキサーとして人生を歩んできました。

イントロは、これくらいにして、次から私の手がけた作品を聴きながら私がその時々でどんな考えで録音を行ったかについて紹介します。今日一日の講演が終わるころには、みなさんも録音技術や時代の変化を感じてもらえるのではないと思います。

デモ−01  Just the Blue Count BasieよりI ‘m Traveling Light
1960年 8月25日 シカゴ ユニバーサルスタジオーA録音
カウントベーシー楽団with ジョー.ウイリアムズ(Vo)です。
レコーダは、AMPEX-300 1/2インチで3-トラック録音です。
プロデューサーはテディ.リンでアレンジは、フランク.フォスターです。

これは、私が23歳のときの録音です。バンドは、シカゴのナイトクラブで演奏しクラブGigが終わった後でスタジオに直行して録音したアルバムです。録音は、深夜2:00からという状態でしたが、実にエキサイティングな録音でした。スタジオでは、椅子にすわるとリハーサルなどお構い無しにメンバーは、おしゃべりを楽しみ、いざテープが回ると演奏は、最高でした。

ユニーバーサル スタジオ-Aは、75x50x25 feetで広く、温かなサウンドで「Magical Sound Room」と呼んでいました。録音に使用したテープは、3M-111というテープで現在に比較すれば感度も低く、S/N比もよくありません。
録音は、ステレオで録音しており当時ではチャレンジした録音ですが、目を閉じて聴けばバンドのリアルな音場を想像できると思います。定位は、極力広くしてあり、TpL-CHSaxは、R-CHで、センターにステレオアンビエンスとジョー.ウイリアムスのボーカルとしています。当時のユニバーサル.スタジオのコンソールは、真空管12CHEQ等は無くリバーブは、エコールームです。これらは、私の友人でも先生でもあるビル.パットナムが設計、考案した機材です。では、聴いてみましょう。

どうもありがとう。ここへくる前に友人が「ブルースどうしてワークショップにでるんだい?」と聴いてきました。私は、「音楽を愛する人々が来ているからだよ」と答えてきました。では質問があれば、どうぞ。

Q-01:
どんなマイクとマイキングをしているのか?
A:
サックスセクションに1本、Tpを中心に後ろにTbそしてドラム等のリズムセクションという配置で1本、真ん中にステレオのアンビエンス、ボーカルには、Telefunken U-47を使いました。ですからトータルで5CH録音です。


このマイクは、今も健在でマイケル.ジャクソンの歌にも使います。購入したのは、1952年で当時$390でした。当時は、品質管理も現在ほど確立していない本当の手作りでしたので同じモデルといっても全く同じ音がする訳ではありません。私のU-47は、クロームグリルのロングタイプですが、メッキ.グリルのショートタイプというモデルもあります。他にも同じモデルを持っていますが、このマイクの出す音と同じ音はしません。まさにMagic Micとして愛用しています。
当時ステレオ録音技法は、手探りの時代で私達は、どうやるのがいいのかを毎日研究し、大いに議論も交わしていましたが、それも楽しい時間でした。

私は、現在UCLAでも学生に教えていますが、今の音楽ビジネスに関わる若いミキサーに欠けているのは、実際のマイキングテクニックとそれによってどんな音が得られるのかを知る機会が少ないという点です。これを聴いた学生は。まるでホロフォニックサウンドのように立体的だと感想を述べていました。

当時のコンソールには、パンポットは無く、定位は、L-C-Rのどれかに振り分けるだけです。スタジオには、フェアチャイルド社のリミッターはありましたが使いませんでした。私は、今でも音楽におけるエモーションの殆どがトランジェント成分にあると感じていますのでLim/Compといった機器によってそのパワーを失いたくないのです。
マスターレコーダのフォーマットは、当時1/2インチ3トラックでしたので、バンドをL-RにボーカルをCで録音しMixは、この3CHから作成という工程でした。

デモ−02 Just the Blue Count BasieよりMean Old World
2曲目は、ベイシーのApfをメインに聴いてください。これは、当時私がApfをステレオイメージとしてどう捉えればいいのかを模索していた時で、思い出深い曲ですので聴いてください。A/B M-S X-Yと色々使ってきましたが、この曲の録音のときはKM-56x2X-Yで録音しました。これは、現在も愛用している方式で位相が揃って定位も確実に録音できる優れた方式だと思います。



Q-02ベースにはどんなマイクを使ったのか?
A:
ベースは、Altec 21-Bです。

私のマイクコレクションは85本ありこれを15ケースにいれて持ち歩いて使います。マイクで気にいるサウンドは、暖かい音でエモーショナル、音相互が融和しあう(Communicative)マイクが好きです。
残念なことに今聴いてもらった2曲は、実際のリリースとしてはモノーラルです。

デモ−03 Sing to the World
クライス.ルーサー教会 合唱 1964RCA REDレコードシリーズより

教会の現場録音で,すばらしいホールトーンとカレッジ合唱を聴いてください。録音は、1/2インチ4CH録音です。合唱曲のポイントは、ひとつひとつの音が聴こえるのではなく全体が融合共鳴した一体感が大切です。マイクは、M-50 A-B方式で間隔は、48 インチです。



Q-03 最近でお気に入りのマイクは?
A:
Milab  Vip-50 /B&K等です。最近のマイクは、製造技術も品質管理も向上し同じモデル内でのばらつきは、無くなってきましたが、30年前のマイクで出会ったような興奮を味わえるモデルは、少なくなってきました。

Q-04 私も1960年当時からステレオ録音を行っています。私は、色々試した結果Schoeps 201がステレオマイク録音ではベストだと思っています。あなたの考えはいかがですか?
A:クラシックの録音では、201もすばらしいマイクです。私がU-47を愛用する理由は、多くの応用が出来る点にあります。

デモー04  1959 The Jazz Soul of Oscar PetersonよりMaidens of Cadiz
1959年 8月ユニバーサル.スタジオ–A
オスカー.ピーターソン トリオ
オスカー.ピーターソンとは16作のアルバムを制作しました。

Q-05 このピアノのマイキングは?
A:
KM-56x2を全指向性でX-Yにしてあります。位置は、少し高弦側へセットしただけですね。
Q-06 トリオの配置は?
A:
スタジオAの真ん中に3人が極力近接できるような配置で全体の音をとるようにしました。
Q-07 レベルコントロールはマニュアル?
A:そうです。使用したテープは、1964年以降、感度が6db高くなりましたので品質も向上しました。
Q-08ベースのマイクは?
A:Altec-21です。このマイクは、アメリカの製品としては良くできたマイクだと思います。1960年後半からアナログ.マルチレコーダが登場しました。このタイプでは、16トラック/2インチのフォーマットが最高だと思います。ドラムやパーカッションは、ここに録音しOKテークをデジタルコピーし音質を維持するという方法を行っていました。1977年になると、複数台のマルチトラックレコーダを同期走行させて録音する「マルチトラック.マルチプレックス手法」を取り入れました。この方法は、クインシー.ジョーンズのプロジェクトのように多くのトラックを使用する際に有効でした。SMPTEタイムコードを記録した複数台のマルチトラック.レコーダを同期して走行できるからです。シカゴ時代には、60Hzの電源同期という方法でスタート.マーカーをテープに書き込みながら同じような方法を使ったこともあります。

デモー05 1978  The Wiz よりEase on Down the Road

先ほど紹介した複数台のマルチレコーダを使ったスレーブ手法を使っています。このメリットは、Final Mixまでオリジナルの音源を残しておける点にあり音楽に大切なエモーションを残しておくことができます。

マイケル.ジャクソンのボーカルパートは、以下のように分けています。
      メインボーカル/バックボーカルのクローズ.マイク分
      バックコーラスx3のオフマイク分

オフマイクでは、スタジオ内の初期反射音成分をしっかり録音しておくことでMix時にリバーブを付加しなくても十分なサウンドとなります。この原理を応用したリバーブにQuantec社のリバーブRoom Simulatorがあります。


メイン音源となるボーカル録音でもモノーラルでは録音していません。それでは十分な音が再現できないからです。マイケルは、ボーカル録音の前に2時間ほど声だし(Vocalizing)を行うので録音は、1テークでOKになります。

マイケルのボーカル録音では、ブースではなく、普通の広さのスタジオ内にドラムを載せるライザー.プラットホームを使い床から少し上げます。マイクは、音楽のタイプにより選択しますが指向性は、全指向か両指向性にしてステレオで録音します。ボーカルにどうしてもLim/Compを使わなければならない時には、Urei 1176でアタック/リリースともSlowでわずかなリダクションを行います。

マイキンングの重要性という私の考えを理解していただいたと思います。私にとってマイクロフォンは、特別な存在です。先ほども紹介したように録音時には、85本のマイクを持参し、その時々で使い分けていますが、そうすることで音質の維持と私のサウンドが維持されています。私にとってマイクロフォンとは以下のような存在なのです。

      文化創造の一端を担っている
      人間が存在するモダン.シンボルである
      今を捉える手段である

といえ私に取っての楽器であり、Voodoo Magicで、秘密兵器でもあります。
ですから皆さんも、どうマイクを使いこなすかを習得することですばらしい創造の世界を作り出すことが出来ると思います。

デモ−061979 Off the Wallより Don’t Stop Till You Get Enough

この曲では、ガラス.パーカッションに注目して聴いてください。私にもある種のチャレンジでマイケルたちがガラス.パーカッションをメインにして演奏しています。最終的に私が使用したマイクは、RCA 77DX/44DXという組み合わせでした。



リボンマイクの持つ過渡特性の悪さがディスクカッティングを容易にしガラス.パーカッションのピーク成分で生じる聴感上の不快感を軽減してくれました。

Q-09 ボーカルの子音は、どうやってコントロールしているのか?
A:
マイクの選択だけでコントロールしています。

Q-10 リリースする様々なメディア、カセットやCD LPなどでマスタリングにおいてどんな注意をしているのか?
A:
マスタリングやメディアによってサウンドは、容易に変えられてしまうので最終段まで立ち会うことにしています。私のお気に入りは、L.AB.グランドマンで彼は、いつも常識を平気で破り、様々なチャレンジをしてくれる点が好きなのです。マスターには、PDフォーマットのX-86HSを使いマスタリングでのEQといった加工は最少にしています。


マスタリングの段階で、もしどのポイントであっても1db以上のEQ補正が必要であった場合それは、私のMIXに責任があったと判断し持ち帰ってMIXをやり直します。
私は、幸いなことに長いキャリアのなかで多くの技術革新と付き合ってきましたが、それでもLPやカセット、CDと全てのメディアでパーフェクトな音楽を完成させるのは、容易ではありません。

Q-11 モニタースピーカの設定は、どうしているのか?
A:
これは、大変良い質問でかつ重要な事なので是非紹介しておきたいと思います。
私の場合は、3つのモニターレベル設定をしています。

      ビッグモニター:100~110db
      ミディアムモニター:83db
      スモールモニター:80db

に設定しています。これは、毎日チェックし常に同じ条件になるようにしています。ベーシックトラックは、ビッグモニターで音決めした後、スモールにします。ボーカルは、最初からミディアムを使います。これには、JBL-4310を使いスモールでは、オーラトーンです。このことでどんな条件下の再生でもマスターに近いサウンドを実現することができます。



Q-12スタジオの音響条件で録音を使い分けることもあるのか?
A:
映画のサウンド.トラック録音では、暖かい音のスタジオを、ドラムの録音では、小さなスタジオのオープンを使います。

Q-13 マイクの音決めをするうえで使用しているコンソールとのマッチングは、どう考えているのか?
A:
現在のコンソールメーカが忘れてしまっているのは、「サウンド」そのものへの関心です。ですので私にとってベストなコンソールは、今ありませんし関心もあまりありません。アランサイズとジョージ.マッセンバーグが今「ドリーム.コンソール」を開発していますが、その結果には注目しています。

Q-14 スタジオによってモニター音が異なる場合は、どう対応しているのか?
A:
スタジオにいくと、まずモニター系にEQ補正などが入っていればそれをスルーにして私のReferenceとしている音源を再生し必要があればモニター系にEQ補正をします。私は、かかりつけの医者がいて聴覚は常にチェックし健全なコンディションにしていますし、ミキサーにとって健康管理も重要ですので毎日150ヤードの水泳も続けています。ヘッドフォン.モニターは、しません。  

そろそろランチタイムの時間が近づいてきたので午前のパートは、これくらいにしてまた13:00から始めます。

2 講演午後の部 PART-02

デモ-07 1979 Off the Wallより Rock with You
デモ-08 1987 Badより The Way You Make Me Feel

ここでは、マイケルのボーカルに注目して聴いてください。ボーカル録音のときのライザーは、8sq10インチの厚さのムク材です。ボーカルトラックだけを聴いてみましょう。歌だけでなく指のスナップや足のステップ音も聴こえますがこれらも重要なパートだと思っています。

Q-15 録音時にアーティストへアドバイスやコメントをすることもあるのか?

A:
マイケルのセッションで、彼が発する言葉は、3つしかありません。

      Please
      Thank you
      Your well come

だけです。しかし、他のアーティストとでは、こうはいきません。

デモー09 1981 The Dudeより 愛のコリーダ
1981年1月
この中で使われているパーカッションは、X-YA/Bによるステレオ録音です。

デモ−101981 The DudeよりThe Dude
この曲は、私にとって多くのエフェクターを使うようになったターニングポイントとなるMIXとなりました。

Q-16 ハンドクラップは、サンプリング音源か?
A:
いいえ、これは、クインシーとマイケルそれにスティービが実際に手を叩いています。

Q-17 サウンドが大変豊かな音場をしているが、どんな工夫をしたのか?
A:1981年は、SONY WALK MANがアメリカでヒットした年でした。多くの若者がヘッドフォンで音楽を聴くようになったのを見て曲の中にバイノーラル録音を取り入れようと思い、この曲では、パーカッション.パートに使っています。

Q-18 エフェクト処理は、どういった場合に活用しているのか?
A:
音楽の表情をより豊にしたい時に使います。最近のスタジオ.エンジニアは、音そのものを良く聴こうとせずに、いろいろなエフェクターをパッチングしていますが、こうしたやり方は決して良い結果を生みません。今日のランチのようにハンバーグそのものを味わってから必要な味付けするのが良い味わい方です。You haven’t taste before you tasteです。(拍手)

Q-19 ホーンセクションのマイキングは?
A:
Tpx2 Tbx2 Saxx2をそれぞれステレオで録音しています。たびたび話しているように音源の空間情報をFinal Mixまで維持するためです。

デモ−111982 The Dudeより Just Once 

19811月録音 ボーカルでは、土臭さ(Earthy)な感じを出すためにSM-7を使っています。



デモ−121982 Donna Summerより State of Independence 

コーラスパートに注目して聴いてください。ビッグなコーラスを録音するポイントは、

      うまい歌い手
      良いマイキング
      良いスタジオ

これだけです。MIXEMT-250を少し加えているだけで、それ以外には、なにも使っていません。NO COMP/NO EQ/NO LIMです。エモーショナルな価値は、技術的な価値に勝ると私は考えています。

Q-20 アナログからデジタルになって何か変化したことはあるか?
A:
私は、アナログ時代から音については拘ってきましたので特に変化はありません。MIXは、1曲を通して行います。細切れにMIXしてそれをマージしていくウエスタン.ユニオンスタイルのMIXはしません。この方法だと全体の流れがエモーショナルにならないからです。
アナログとデジタルの話に戻りますが、ここに一枚の絵があったとしてそれを35mmのフィルムで撮影した場合と、ビデオで撮影した場合の相違に似ています。フィルムは、ソフトで美しく、一方ビデオは、クリアーでディテールが明確です。私は、両方の特徴を活かしたいと考え、Vo Horn Drum Percは、アナログで録音後、デジタルへコピーします。
先ほど大学でも教えていると話ましたが、USLAのマスター.クラスで私が教えている事は、以下の2点だけです。

      There is one rule in music recording that is the no rule
      Don’t be afraid to break a rule

Q-21 DAWについてのコメントは?
A:
ディスク.レコーディングは、現状のスペックでは音質的に満足できませんので取り入れるには、まだ早いと思っています。Fs:96KHzが登場したのでマスターには、採用しました、bit数は、20bitは、必要だと思います。

デモー131987 Golden love Songs VOL04より Baby Come to Me  

このMIXでは、パティー.オースティンとジェイムス.イングラムのボーカルサウンドの透明さが気にいっています。メインボーカルに使ったのは、1963年のTelefunken ELA M-251でバックコーラスには、ペアのAKG C-414x2組です。




奥行きを出すために一組がONでもう一組がOFFの組み合わせですスタジオのアンビエンスをたっぷり取り入れています。

デモ−141982 Thrillerより Billie Jean 

この曲は、私が思い描いた音場(Sonic Image)が完全に再現できたと思います。
ドラムの録音は、L.Aのウエスト.レークスタジオーBでオープンフロアにライザーを置いてその上で演奏しています。Kickには、ジッパーのついた専用カバーで低域をタイトにしてマイクプリには、G.M.L 12CHポータブルコンソールを使いそのアウトをダイレクトにアナログ16CHマルチトラックレコーダへ録音しました。ストリングスは、オーシャンウエイ.スタジオでステレオ.ワンポイント録音です。

Q-22 Kickのマイキング場所は?
A:
Kickの基音は、40~50Hzくらいなので中に突っ込まずにヘッドの近くにしています。

Q-23 スネアのサウンドは、大変独特ですが、どうやったのか?

A:
このマイキングは、私がシカゴ時代に身につけた方法でAKG C-452をスネアの真横に設置しています。


このマイキングで得られるサウンドは、大変ビート感とパンチがあり(Hard and Nail Sound)どんな曲にも合うわけではありませんが、この曲では、効果的でした。

Q-24 スネアの上下から狙うといったマイキングは?
A:
私は、やりません。やりたい方は、どうぞご自由に。。。。

デモー15 1982 ThrillerよりThriller

これは、ドラマ仕立てに構成されており音楽以外の効果音等は、W.Bピクチャーのライブラリーを使っています。ドラムは、リンのシーケンサー電子ドラムです。キーボードは、モノーラルOUTですので、Studio TechAN-2で擬似ステレオに広げています。シンセサイザーの打ち込み作業に毎週毎週付き合いましたが、クインシーは、あくびばかりでした。(笑い)わずか12小節のブルースを打ち込みで作るのに$3.000のコストと退屈な時間を過ごすのは、私には、あまり向いていないようです。
この曲のMIXは、映画とビデオバージョンで別MIXをしています。

デモ−16 1985 映画Color Purpleよりオーバチャー部分

198512月の録音で同名の映画のスコアリング音楽です。
録音は、バーバンク.スタジオで、私にとって映画音楽(Scoring Music)の録音もとてもエキサイティングなプロジェクトです。クラシックとも異なり、様々な要素が含まれますので多岐に及ぶ知識とサウンドを実現しなければならないからです。オーケストラは、80名でメインマイクは、M-50を指揮者位置で高さ12フィートにセット、Spotマイクは、KM-84を使いました。M50は、見た目M-49と似ていますが、全指向性でサウンドは、ワイドでオープンな音です。



MIXは、12トラックにまとめDolbyサラウンドDS-4を経由してエンコードしLt/Rtという2トラックになります。オーシャンウエイ.スタジオには、サラウンドのモニター環境がありますのでここで仕上げをしました。

デモ−17 1987 BadよりMan in The Mirror
19878月録音
これはウエストレーク.スタジオでの制作です。マイケルのメインボーカル以外にコーラスがありますが、この録音は、20人のコーラスを2回録音しました。使用マイクは、AKG C-414EBx2でマイクアウトをダイレクトにマルチレコーダへ送っています。

デモ−18 1991 Back on the BlockよりThe Way You Make Me Feel
今度の感謝祭にはリリースできると思いますがクインシーの新作「Back on the Block」からの曲です。リリースに先だって今日のデモを快諾してくれたクインシーには、感謝したいと思います。アルバムのMIXは、後2曲を残すのみという段階です。
この曲ではスワヒリ語のコーラスが掛け合いをする形式があります。一方は、クリアーな青空のイメージでX-Yとし、もう一方は、音場を広くとり温かな戸外というイメージでA-Bで録音しました。

このMIXから私の新しいスタジオを使いましたので少し紹介します。
コンソールは、NEVE-8078 40CHX2とオプションで32CHを付加し合計112CH仕様です。フェーダオートメーションは、GMLです。ヘッドルームは、どの段階でも28dbを確保しています。

さてそろそろ18:00になってきましたので締めくくりに入りたいと思います。
私とクインシーの関係は、シカゴ時代にまで遡りクインシーは、当時23歳、私は、22歳でした。そこから現在までの長い友情の絆は、まずお互いの信頼関係から始まっています。本日の1日という長丁場に参加をしてくれた、これからミキサーを目指す方々へ、以下の言葉を申し上げたいと思います。

      イアー.トレーニングあるいは、クリティカル.リスニング トレーニングを 
まずやってください。これはUCLAで私が行っている14週間のマスタークラスでも必ず実施しています。
      アコースティック楽器や人の声をたくさん聴いてください。
      優れた作品をたくさん聴いてください。

その中から学ぶ姿勢を常に持ち、継続することで独自のサウンド(Sonic Character)を作りあげることが出来るようになります。私も。毎日様々なサウンドに挑戦しており現役のStudio Junkyです。

今日は、たくさんの皆さんの前で私のスタジオ生活を紹介することができて大変光栄でした。どうもありがとう!(大拍手)

I consider myself an artist at what I do As such I try to remember that.
Just as a fine artist such as a Van Gogh never attempts to paint precise reality………
Instead be captures the emotion of his interpretation on canvas.

So does the power and emotion of a piece of music with his interpretation on a sound-field