February 10, 2013

ベルリンでのオーケストラ・サラウンドレコーディングについて:SPECIALリポート


はじめに:
このすばらしいリポートは、名古屋芸術大学の長江さんが昨年春から1年間の予定でベルリンにてクラシックの録音制作を勉強にいっている間に、経験した数々の成果のひとつとしてサラウンド寺子屋の皆さんむけに特別にリポートしてくれた内容です。

ドイツにおける「トーンマイスター」の勉強やその制度などについて多少の知識をお持ちのみなさんもいると思いますが、長江さんは1年間大学講義からさなざまなレーベルのクラシック制作を自身の目と耳で経験している貴重な1年間です。長江さんは、毎月ベルリンで経験したソフトからハードまでの気付きをメールで送ってくれていますが、その中からもヨーロッパ音楽の底力を伺うことができました。このリポートは、その中でもポリヒムニアの録音によるサラウンド制作が大変詳細にリポートされています。
なかなかクラシックの本格的な録音の機会が少ない日本の皆さんに大変有益なリポートですので是非熟読してください。
貴重なリポートをまとめていただいた、長江さんに感謝です。(Mick Sawaguchi 付記)



ベルリンでのオーケストラ・サラウンドレコーディングについて:SPECIALリポート


            名古屋芸術大学 音楽学部 音楽文化創造学科 長江和哉     
RSB

1.概要
 この報告は2012年5月にベルリン•フィルハーモニーで行われた、ペンタトーン・クラシックス (PENTATONE CLASSICS 以下ペンタトーン)とドイツの公共放送ドイチュラントラディオ•クルトゥアー (Deutschlandradio Kultur 以下DLR)とのコ•プロダクション(共同制作)による、マレク•ヤノフスキ指揮 RSBベルリン放送交響楽団 (Marek Janowski, Rundfunk-Sinfonieorchester Berlin ) の3枚組SACD「ワーグナー•タンホイザー」(Richard Wagner Tannhäuser)の制作リポートである。この作品はサラウンドとCD-DAレイヤーを持ったSACDハイブリッドディスクとして2012年12月20日に発売された。

2.レーベルと録音ついて

 ペンタトーンはフィリップス・クラシックスが源流で、2001年にオランダで設立されたレーベルである。これまでの全タイトルをSACDハイブリッドディスクでリリースしている高音質志向のレーベルとして知られ、ケント・ナガノ、パーヴォ・ヤルヴィ、ユリア・フィッシャーといった世界的なアーティストの名演を数多く揃えた名門レーベルとして親しまれている。録音は同じくフィリップス・クラシックス・レコーディングセンターが源流で、1998年に独立したレコーディングカンパニーとなったポリヒムニアのジャン=マリー • ヘイセン氏 (Polyhymnia International BV Jean-Marie Geijsen) とDLRの録音チームと共同で行われた。

3.制作の背景
 ペンタトーンは自社設立10周年の2011年に向けて、今までどのレコード会社も行っていなかった以下10のワーグナーの主要オペラの録音を、同一の指揮者、オーケストラ、コーラスで行うことを決めた。RSBベルリン放送交響楽団とベルリン放送合唱団は3シーズンに渡り、それらのオペラをコンサートに組み込むこととなり、そのオーケストラと合唱団の運営母体であるDLRが、ペンタトーン、ポリヒムニアとコ•プロダクションし、コンサートとその数日間のリハーサルを録音して制作をしており、ワーグナー生誕200年の2013年中すべてのオペラのリリースされる予定である。


1. Der fliegende Holländer さまよえるオランダ人2010年11月9〜13日
2. Parsifal パルジファル2011年4月4日〜8日
3. Die Meistersinger von Nürnberg マイスタージンガー2011年5月30日〜6月3日
4. Lohengrin ローエングリン2011年11月8日〜12日
5. Tristan und Isolde トリスタンとイゾルデ2012年3月23日から27日
6. Tannhäuser タンホイザー2012年5月1日〜5日
7. Das Rheingold ラインの黄金2012年11月18日〜24日
8. Die Walküre ワルキューレ2012年11月18日〜24日
9. Siegfried ジークフリート2013年2月25日〜3月1日
10.Götterdämmerung 神々の黄昏2013年3月10日〜15日
 
 オーケストラのセッション形式の録音は、その採算性から少なくなっており、今回のようにコンサートのライブテイクとリハーサルテイクを編成して、原盤を制作する機会が多いのが現状であるが、そのリハーサルスケジュールは、アーティストの負担を最小限にしながら、素晴らしいコンサートと録音を同時に実現するよう綿密に計画されていた。

 公共放送DLRは、ドイツ内のクラシック音楽のさまざまな録音をコ•プロデュースしている。文字どおりコ•プロデュースは共同で原盤を制作するという意味であるが、このDLRのコ•プロデュースは、作品のラジオ•オンエアを行う目的で、録音技術、録音スタッフ、場合によっては録音場所等を援助しながら制作し、作品のリリースは外部レーベルから行うという内容である。2006年からこれまでに、200枚以上の作品をコ•プロデュースしている。
DLRのコ•プロデュースCD作品の一覧:http://www.audire-online.de

 今回のコ•プロデュースの背景には、DLRがDSOベルリン・ドイツ交響楽団、RSBベルリン放送交響楽団、ベルリン放送合唱団、RIAS室内合唱団を運営するRundfunk Orchester und Chöre GmbH (roc berlin)の一番の出資元であることがあげられる。roc berlinは、DLR(40%)、ドイツ政府(35%)、ベルリン市(20%)、ブランデンブルク放送(RBB)(5%)により出資されており、これらの団体は、ドイツの準公共放送オーケストラであるといえる。
 収録チームは、DLR側ラジオオンエア用録音スタッフとして、トーンマイスター、トーンエンジニア、トーンテクニックが参加し、ペンタトーンよりプロデューサー、ポリヒムニアより、トーンエンジニア、トーンテクニックが参加するとても大きなチームであったが、すばらしいチームワークであった。

4.収録場所
 収録は1963年に竣工した旧西ベルリン側にあるコンサートホール、ベルリン・フィルハーモニーで、2012年5月1日から5日に渡って行われた。この通称フィルハーモニーはホールの中心に舞台を配置したヴィンヤード型のホールで、収容人数2,440席、満席時の残響が2秒程度である。ホール最上階にには、フィルハーモニーとDLR、RBBによる録音•中継用コントロールルームが設置されており、今回は、DLRが中継放送と、コ•プロダクションする原盤制作ということで、このコントロールルームが使用され収録が行われた。


Berliner Philharmonie

5.収録方法と機材
 コントロールルームの機材は、コンソール Stagetec AURUSと、オーディオシグナル・ルーターStagetec Nexus Starを中心とした機材で、MERGING Technologies Pyramixがメインレコーダーとなっている。
 図-1に示すのが今回の機材系統で、今回はフィルハーモニーの既存システムに加え、ポリヒムニアよりMERGING Technologies Pyramix、HA Grace Design m802、DAC Prism Sound Dream ADA-8、Benchmark Media Systems AD2408-96等が持ち込まれ、SACD用サラウンド用メインマイクアレイはHA Grace Design m802を経て、Prism Sound Dream ADA-8でADされ、その他のスポットマイク回線はラジオ中継用と分岐されBenchmark Media Systems AD2408-96でADされた。マスタークロックはDCS 904から供給され、88.2kHz/24bitで収録された。

Equipment

Stagetec AURUSStagetec AURUSGrace Design m802,Prism Sound Dream ADA-8Grace Design m802,Prism Sound Dream ADA-8
Grace Design m802Grace Design m802DCS 804,Benchmark Media Systems AD2408-96DCS 804,Benchmark Media Systems AD2408-96

6.マイクアレンジ
 
 図-2に示すのが今回のマイクアレンジである。今回のコンサートは、収録1週間後の5月12日にラジオ中継があり、その後約半年後にSACDハイブリッドディスクとして発売される予定であるため、ステレオ用、サラウンド用の2つのメインマイクを設置した。ラジオ•ステレオ用はDLRスタッフにより、Schoeps MK3S A-Bステレオが設置され 、サラウンド用は、ジャン=マリー氏によりポリヒムニア•アレイが設置された。このポリヒムニア•アレイは、5 OMNISとも呼ばれるが、ポリヒムニアが長年の独自の研究により考案したもので、一般的なサラウンドスピーカーの配置であるITU-R BS775を模したマイク配置である。LCRは4kHz以上の高域に指向性をもたせる球体、SBKを装着した無指向性Nuemann KM130で、LS-RSはSchoeps MK2Sであった。尚、ポリヒムニアは異なる種類のマイクであっても、出力ゲインが同一になるようにマイク本体の増幅回路をモディファイしているとのことである。スポットマイクは天井から吊るされたSchoeps CCMシリーズとスタンドによってステージ配置されたSchoepsCMCシリーズを中心に約24本設置された。カプセルは、カーディオイドCCM4を中心にしながら、弦楽器にはワイドカーディオイドCCM21が選択され、その楽器の放射特性に適した指向性のマイクを、ふさわしい位置に配置しただけで、必要なスポットのマイクの音が得られる工夫がされていた。尚、ポリヒムニアによるのすべての録音は、今回のようなオーケストラでも、ピアノソロでも常に同一のメインマイクを使用し、常にサラウンドで録音を行っているとのことである。

マイクアレンジ (図-2)
ARRANGEMENT OF MICRPHONES

PolyhymniaArray2
PolyhymniaArray3
L-C-R Neumann KM130 SBKL-C-R Neumann KM130 SBKSpot mic Schoeps CCM21, CCM4 etcSpot mic Schoeps CCM21, CCM4 etc

5.ポストプロダクション
 
ポストプロダクションは、オランダのポリヒムニア•スタジオで行われたため、その詳細についてジャン=マリー氏にインタビューをした内容を以下に箇条書きで記す。
  1. 完成尺はSACD3枚組、計約3時間ということであったが、編集は6日間、ミキシングは5日間かけて行った。
  2. 編集後のミキシングは、まずステレオミックスに取り組み、そのあとにサラウンドミックスに取り組んだ。その理由は、ステレオミックスのほうが、サラウンドミックスより、クリティカルで難しいからである。
  3. サラウンド用メインマイクアレイ、ポリヒムニア•アレイの5本のマイクは、L/C/R/LS/RS そのままのチャンネルにアサインされた。
  4. LFEチャンネルは使用しなかった。なぜなら、LFEはエフェクトであって、映画では使用されるが、音楽では使用すべきでないと考えている。さらに、LFEは、ダウンミックスされるとカットされるチャンネルであり、また、LFEレベルの設定は難しく部屋のアコースティックの影響を受けやすいからである。
  5. Spot MicのLCRパンニングは、ファントムセンターではなく、センター•パーセンテージ100で行った。(L-CとC-RのPan)
  6. サラウンドミックスと、ステレオミックスは、それぞれの再生システムによってふさわしくなるよう、異なるパンニングにし、メインマイクシステムも1,2db異なることが多い。また、バンダ•トランペット等ステージ外からの楽器は、サラウンド用にパンニングしミキシングしている。
  7. スポットマイクのタイムアライメントを行った。

6.おわりに
 
2012年4月から1年間、名古屋芸術大学の海外研究員としてベルリンに滞在し、クラシック音楽の録音と、トーンマイスター教育の研究を行う中で、さまざまな方々の善意により多くの録音に立ち会うことてができた。ベルリンには、4つのシンフォニーオーケストラと 3つのオペラ劇場があり、毎日どこかでコンサートがありその多くがラジオ中継され、また、教会やホールでは、毎日のようにセッション録音が繰り広げられている音楽と録音の都であることを体感することができた。
 一晩のコンサートでは最大約2000人程度人々が、その音楽を共有•共感できるわけであるが、このコンサートをサラウンドで録音することにより、その音楽を世界中にまた、時代を超えて伝えていけるというわけで、改めて、録音の意義を感じることができた。
 このプロジェクトは3年の間で、ワーグナーの10のオペラのSACDの収録を行うということで、これは、決して容易なことではなく、オーケストラ、レーベル、録音制作スタッフの努力と、いい作品を作ろうというコミュニケーションがあることで成り立っているということを垣間みることができた。
 今回、このレコーディングレポートについて快くサラウンド寺子屋への掲載許可を頂いた、ポリヒムニアのジャン=マリー氏 に感謝いたします。

 
 SACD Infomation

 Tannhauser Richard Wagner 


 Rundfunk-Sinfonieorchester Berlin,
 Rundfunkchor Berlin,
 Conductor : Marek Janowski
 Released: 20 December 2012
 Label: PentaTone
 ASIN: B0085BFW4K

 Amazon de  Amazon jp


Credits
Executive Producer: Stefan Lang, Maria Grätzel, Trygve Nordwall & Job Maarse
Recording Producer: Job Maarse
Balance engineer: Jean-Marie Geijsen
Recording Team: Wolfram Nehls, Henri Thaon, Johanna Vollus, Maksim Gamov, Gunda Herke
Editing: lentje Mooij

プロフィール バランスエンジニア  ジャン=マリー•ヘイセン
Director & Balance engineer: Jean-Marie Geijsen
 1984年から1988年までオランダ•ハーグ王立音楽院で、バロック音楽を中心にクラシック音楽の録音を学ぶ。1988年から1990年はマスタリングエンジニアとしてキャリアをはじめ、フリーランスのクラシック音楽の録音と、PAエンジニアとして活動する。1990年よりフリーランスとして、フィリップス・クラシックスにてエディター、リマスタリングエンジニアとして、また、1996年にはフルタイムのバランスエンジニアとなる。1998年にフィリップスレコーディングセンターは独立し、ポリヒムニア・インターンショナルとなる。現在はそのポリヒムニアのバランスエンジニアとして、オランダをはじめ、ベルリン、ロンドンなど、ヨーロッパ各地でクラシック音楽録音を勢力的に行っている。これまでに、アルフレート・ブレンデル、リッカルド・ムーティ、小澤征爾、イヴァン・フィッシャー、アンドレア・ボチェッリらの録音を手がけている。


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