December 1, 2004

第117回 AESコンベンション キーノートスピーチより A&M社長 R.Fair

By RON FAIR 抄訳:Mick Sawaguchi 沢口真生

これは、第117回AESコンベンション サンフランシスコでのオープニングキーノートを行った現A&Mレコードの社長RON FAIRSの講演内容を抄訳したものです。音楽業界の立場からの彼の視点として参考にしてください。

まず、私の生い立ちからお話しましょう。現在はA&Mレコード社長という職にあり、毎日24時間7日にわたって様々なレコードプロデュースをてがけ椅子の前にはKRKのモニタースピーカとアンプと電話があります。作曲やアレンジも行いますが、重視しているのは多くのミュージシャンの音楽を聴くことです。こうした仕事の背景になった私の生い立ちは大変おもしろいと思います。

わたしの祖父はポーランド移民で役者でした。まずニューヨークで芝居の仕事をしていましたが、その後1940年にL.Aに移住してからは、
「ユダヤの時間」というラジオ放送をてがけました。これは毎日毎週5日間の定時放送でその後26年間も続けました。
この制作のために自宅の裏庭に自前のスタジオを建設し、AMPEXを中心とした設備を備えていました。
私が2歳の時「これらで放送を始めよう」とスタートしたのです。そこで私を膝の上に載せ録音したりしました。こうして自然と録音という世界に浸っていったわけです。
私の家族は、私を除いて全員クラシックの演奏家でした。でも彼らは、私がその世界へ入ることは望みませんでした。
でも私は音楽を愛し、音楽制作をやりたいと考えていました。それでピアノとギターを勉強し始めました。
なかでも私の姉が持っていた J.コリンズ・J.ミッテェル・バーズ・B.ディランといったレコードから大きな影響をうけ、クラシックとPOP音楽の感覚を身につけることができました。
裏庭でギターを演奏している10代に隣にいたドラマーが、16歳でABC音楽出版と契約し、そこへ一緒にいくうちに保管庫にある膨大なすばらしい音楽と出会うことができました。スティーリーダン・ママ&パパス・テリーギブス・ファラオサンダース・フレディハバード・等々。こうしてPOPSやJAZZなど多くの音楽と接することができました。
当時POPSミュージシャンはロングヘヤーでしたが、私はビルエバンスやチェットベーカといった音楽が好きでしたので、ショートヘアーで通しました。

高校では、コードに興味があったので、ハーモニーの勉強をしました。友人が小さな録音部屋と機材を持っていたのでそこでトイレの掃除からコピーまで何でもやり、夜になると友人を呼んでデモ録音を繰り返し、レコーディングの世界へ入っていきました。それからは、いくつものレコード会社を訪ね職を探し、ユナイテッドアート音楽出版の録音エンジニアとなることができました。20歳の頃です。ここでは8トラック録音が行われており、3時間で3曲のデモ録音を行うという仕事をやりました。一日では計6曲を録音しているスケジュールです。しかし、いずれはプロデューサをやりたいという思いはこのころからありました。1981年に念願のA&R担当にRCAレコードでなり、たいしたヒットをだすことなくCHRYSALISレコードへ移り、そこでGO WESTと契約し世界的なヒットを生み出すことができました。ロンドンとの関係もできたことからISLANDレコードの国際A&R担当となり、その後EMIへ移り再びアメリカへ戻りました。こうして多くの会社を異動しました。
EMIでは映画「プリティウーマン」のサウンドトラックを担当しました。正直いって私は、創造的な的を絞ったレコードを作りたかったので、サウンドトラックのようなごった煮的なレコードは乗り気ではありませんでした。しかし、これは世界で7百万枚も売れたのです。EMI時代は、多くの有益な経験を積むことができました。その後RCAへと異動し、そこでCHRISTINA AGUILERAと出会いました。私は、こだわりを重視した制作スタイルをとっていたので万人とうまくいくわけではありませんが、その呼吸が出会うと花が開くというわけです。かつての名門A&Mレコードとの出会いがそうかもしれません。

もう一人、私の人生に大きな影響を与えてくれた人物を紹介します。BILL CONTEです。彼とは低予算の映画録音で知り合いましたが、
彼は「君は、少しミュージシャン、少しアレンジャー、少しエンジニアだ。だからプロデューサがむいているよ」と言ってくれた人物です。彼との仕事は「ロッキー」の映画音楽録音です。「君はスコアが読めるからここのエンジニアにトランペットが鳴るときにハープを絞るタイミングを教えてくれ。時間$20でどうだ」といわれました。3時間のセッションで$60もらいました。1977-78年にかけての彼との仕事ロッキーで私は映画音楽の世界を知ることができ、そして、私の初めてのゴールドレコードとなりました。

最近の音楽は、あらゆる面で変革を遂げたといえます。苦悩と痛みそしてさらなる困難という局面も否定できません。しかし、一方で明るい未来も見えています。ファイルという感覚で扱う音楽。。コピー問題、いまや音楽は持ち運びでき、扱いやすく、ダウンロードという手段で再生することもできます。このことで違法なコピーが充満し、我々が多くの音楽家と契約し、レコード会社を運営し、多くの従業員を雇用し、高価な機材を購入し、映像も制作し・・・といった一連のワークフローに変化を与えています。私が一番の関心事はコピー問題です。一枚CDを買えば、たちどころに25枚のCDが自宅で焼ける時代です。

もうひとつの問題は、音楽的に高度な教育と高い芸術性の確保です。
かつては、居間にピアノがあり、レッスンを受け、ライブハウスではバンド演奏していました。今はこうした音楽環境が消え去り、ガレージバンドがテクノロジーを駆使して音楽が可能な時代です。この恩恵も否定はしませんが、磨き抜かれた芸術表現とは無縁です。
手軽に音楽が制作できることのデメリットもあります。ここL.Aでは、かつて毎日5つのスタジオオーケストラが録音していました。今その仕事はシアトルやプラハ、ロンドンへと移動し映画の音楽録音で構成されていた一連のワークフローは分裂し、200名もの職がなくなったといえます。

FCCなど政府のメディア規制も問題です。ジャネット ジャクソンのカメラシーンに過剰反応したメディアは次回のグラミー賞の演出をどうするか、頭を悩ませています。ヨーロッパからみれば「なんとせせこましいことに無駄な時間と金を使っているのだ!」と見られています。

音源の保存についても考えなくてはなりません。多額の投資を行って制作された多くの音楽は、膨大な記録と様々なタイプの音源が残っています。その記録方法は、数年おきに変わっています。ここ10年・15年・20年さき、どう対処すればいいのか検討もつきません。

明るい面も述べなくてはなりませんね。アップルがI-PodやI-Disc I-Tuneなどで奇跡的な復活を成し遂げたように、我々もロンドンで仕上げたMIXがAIFFファイルで受け取り、15分後にはMIXがここL.Aで完成するといった驚異的なフローができました。
5.1CHサラウンドもそのひとつでしょう。いまや家庭で音響空間を享受できるようになりました。リハーサル.COMという私の友人が立ち上げたサイトは、今人気です。その理由はリハーサルスタジオでリハーサルしているミュージシャンのLIVE配信を見ることができるからです。とくにグラミー賞や大きな授賞時期の前になると、大物ミュージシャンがここで行うリハーサルはファン必見となります。
衛星ラジオも新たな動向の鍵をにぎるでしょう。

音楽は、日常の空気のような存在となり、いつでもどこでも広範囲に楽しめる存在となっています。電気や水道のように・・・音楽という大きなパイプが家庭へ配信され、そこで聞きたい環境に応じて様々な形態で再生することが可能で支払いは、電気やケーブルTVと同じ感覚で曲単位ではなく毎月の固定料金例えば月$12とかで支払われる時代でしょう・・・
すばらしい才能のアーティストも続々と登場しています。

レコード会社は、SONY/BMGが合併し、残るはWAENER EMI UNIVERSALのみとなりました。
でも音楽を愛し制作をする優れた人々は存在しています。音楽を愛し世の中に紹介しビジネスすることに喜びを持った人間です。
新たな方向と新しい道を造るための挑戦へ挑むひとびとへ輝かしい未来を確信しています。(了)

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