December 13, 2002

" 5.1chサラウンドを実現するために
は「ボスを説得しろ!」ということです " 井上哲 サラウンド制作への熱き思いを語る


5.1サラウンド制作セミナー

2002年12月13日 
事務局担当 西田俊和



今回の講師は、テレビ朝日映像(株)の井上 哲(いのうえ さとし)氏です。井上氏は1994年に全国朝日放送に入社。2000年よりテレビ朝日映像(株)に所属し、音楽、バラエティ、スポーツ中継等のミクサーとして活躍されています。
2001年10月、BS Asahiの格闘技レギュラー番組「パンクラス・ハイブリットアワー」で、国内初のスポーツ中継5.1サラウンド放送を実現したのをはじめ、音楽番組、日本シリーズ「西武vs巨人」での5.1サラウンドを手掛けています。
井上氏は1971年生まれで、現在31歳という若手ミクサーですが、その情熱やパワーには、私たちも見習うべき点が多くありました。
講演にあたり、下記のデモクリップ(DVD)が5.1サラウンドで上映されました。


●「パンクラス・ハイブリットアワー」5.1サラウンド
● 西武ドーム・プロ野球5.1サラウンド試験収録

●「はっぴいえんど・トリビュートライブ」(音楽ライブ5.1サラウンド)

セミナーにはドラマ番組技術・音声、音響デザイン部を中心に約25名が参加しましたが、特に同年代の音声マンにとっては、大きな刺激となったと考えます。
以下、井上氏のセミナーの内容を紹介していきます。

Persuade your boss!
5.1chサラウンドを実現するために
はじめに
今回のセミナーで私が一番強調したいことは、「ボスを説得しろ!」ということです。
これは、NHKのサラウンド先駆者である沢口さんが、多くのセミナーの場で必ずおっしゃっていることに感銘を受け、使わせて頂いた言葉ですが、サラウンドを実現するために一番大切なことは、やはりこれではないかと思います。
では、まず私がボスを説得して、サラウンド放送を実現するまでに、どんなことをやってきたかについてお話したいと思います。


1.「パンクラス・ハイブリットアワー」
サラウンド実現まで

●「パンクラス・ハイブリットアワー」について
・BS Asahi開局と同時に放送開始した格闘技レギュラー番組。
・毎月1回の収録・放送。

・2001年10月より5.1chサラウンド放送開始(スポーツ中継初)

・2002年4月まで計6回を5.1chサラウンドで放送。映像情報メディア学会賞受賞映画テレビ技術協会賞受賞


BSデジタル開始直後、家電メーカーは、「BSデジタルチューナーと組み合わせれば、家庭でサラウンド放送が楽しめます!」という宣伝文句で、AACデコーダー内蔵のAVサラウンドアンプを発売していましたが、その頃まだサラウンド番組は皆無だったと思います。それは放送の音に関わるエンジニアとして、とても「いやだな」と思いました。
サラウンド番組がないなら「自分が一発やってやろう!」と考えていたところへ、ちょうど昨年3月から私がこの番組の担当となった訳です。

● 制作との信頼関係確立
(いきなり5.1chなんて、なかなかやらせてもらえない!)

私がこの番組のミクサーとなった2001年3月から、すぐにでも5.1サラウンドでやりたかったところですが、私のような若手ミクサーが、いきなり5.1をやりたいといっても、やらせてもらえないのが普通なのです。
そこでまず大切なことは、制作(ディレクター、プロデューサー)との信頼関係を築くことでした。
ディレクター、プロデューサーは、映像のことには細かく注文をつけても、音は「あれば良い」という人が多くいます。たとえそうであっても「ミクサーが替わって、音が変わった!」あるいは「こいつに音をやらせたら凄いぞ!」ということを、まず彼らに認識させたかったのです。
そこで、私なりにリング上で闘う選手の発するパンチ音を大胆に強調したミクシングを心掛けていました。
ある日、収録が終わった後で、ディレクター氏から「今日の音、以前よりパンチや選手の息づかいが凄かったね!」と声を掛けられ、今がチャンスだと思い「実はもっと凄い音ができますよ! ちょっと話を聞いていただけませんか?」とサラウンドの話を持ちかけたのが、全ての出発点でした。
「5.1って、映画や音楽じゃないの?格闘技で5.1って効果あるの?」という意見もかなりありました。当初、私もその意見に反論できる材料を持ち合わせていなかったのですが、まずは「百聞は一見にしかず」で、デモ素材を作ろうと考えました。
しかし、プロダクションの場合、研究やデモといった取り組みで、いちいちギャラが発生するようなことはやらせてくれないのが普通です。
そこで、まだステレオで収録していたときに、現場で無理矢理後ろに小さなスピーカーを置き、通常のステレオ収録を行いつつ、簡単な形で4chサラウンド(2chステレオ+リア用416×2)をβcamSPに収録してみることにしました。
それを会社に持ち帰り、キャメラマン、VE、音声メンバーと共に4本のスピーカーで試聴したところ、ものすごいリアクションが得られたのです。
そして、このβcamSPをデモ素材として番組スタッフ、社内・上司、放送局関係者、スポンサーなどへのプレゼン攻勢をかけました。
そのなかで、自分自身が「格闘技の5.1は凄いぞ!」という自信を深めると同時に、番組の関係各社、スタッフにもそう思ってもらえるように半年間にわたるアピールを続けた結果、ついに昨年10月から5.1サラウンド放送を実現することができた訳です。

● 最低限の予算・機材・時間で制作
 (マイクプラン、サラウンド収録システムの構築)
NHKさんでも似たような状況かもしれませんが、民放のBSデジタル番組の予算は本当に少ないのです。
パンクラスの場合も「サラウンド放送はOK。ただし予算、スケジュールは現状のまま」というのが基本でした。
スポーツ中継番組の5.1サラウンドは、生放送で行うことを考えれば、あくまで現場で一発ミクシングすることになります。その分、映画やドラマのように大がかりなポスプロを行う必要はなく、会社にある機材をうまく使い、知恵と工夫さえあれば、今までとあまり変わらない予算とスケジュールで5.1を行うことができるということを、ボスを説得する上での「売り」としました。
 下図は「パンクラス」サラウンド収録のマイクプランです。
詳しくは「放送技術」の資料をご覧いただければ写真入りで解説していますのでご参照下さい。
コーナーポスト上の4本のマイク(C-747)で、リング上の選手の動きや息づかいを収音しています。プロレス等では下でガンマイクを振ることが多いのですが、今回のパンクラスではカメラマイク(MKH-416)を使い、これで実際の
選手の闘っている迫力のある音を録っています。デモ(DVD)で聴いていただいたリング間際のパンチの音は、この416で録ったものです。
更に、この416を卓にダブルアサインして、片方はLow cutしてPAが出ている時にも上げられるようにしておき、もう片方は逆にHigh cutして重低音成分をウーハーに送り、ゲートをかけるといった使い方をしています。
 のリング下のマイク(MD-421)は、リング上で選手が投げられたときのドンという音を拾い、サブウーハーに送る為のものです。
これは当初、U-87iを使っていたのですが、感度が良いせいかゴーという低音を拾ってしまい、ゲートでも切れないため、途中からMD-421に変えています。
サラウンド用マイクは、M/Sマイクを前後に2本吊しています。私たちのプロダクションの実情として、マイクの数がそれほどないので、いつでもレギュラーで持ち出せるマイクとして、VP-88を選択しました。
写真1(次ページ)は、ステレオ収録の頃のミクシング風景です。ご覧のように、私たちテレビ朝日映像の機材をかき集める形で、ハイエースの荷台に組み、卓はソニーのMX-P61を2台使用していました。
それがサラウンド収録では、写真2のようなシステムになりました。
これは音声中継車ではなく、銀箱トラックの中に5.1サラウンドMixのシステムをバラックで組んだものです。
このようなマイクプランや、サラウンド収録システムの構築、ミクシングで苦労することは、私も好きですし、またミクサーとして当然だと思いますが、やはりそれ以上に大変だったのは、制作を説得して、放送にこぎ着けるまでの半年にわたり、また繰り返しになりますがサラウンド先駆者の先輩方が言うように、ボスを説得してきたことです。
でも実際に、「ボスを説得する」ことが、サラウンドを普及させる早道だと信じています。

●サラウンド知識の習得も重要

ディレクターをはじめとする制作スタッフは、私たちミクサーに何でも質問してきます。
例えば「サラウンドで一体どんな事ができるのか?」、「サラウンドで放送したとき、ステレオで聞いている人はどう聞こえるのか?」、「ステレオからサラウンドに切り替わったとき、音量感はどうなるのか?」等々です。
「サラウンドをやりたい!」という以上は、こうしたディレクターの質問に、きちんと答えられるだけの技術的知識を持つことが必要です。
私もこれまでにサラウンドに関する文献、資料を読んだり、各種セミナーに参加してサラウンドに対する知識を深める努力をしました。
この1年でサラウンド関係の資料、文献は急速に増えており、どれも簡単に手に入れることができますし、「放送技術」や「PROSOUND」といった業界誌には毎月のようにサラウンド制作レポートが掲載されています。
最近、自分より若いエンジニアもサラウンドに興味を持ち「自分もサラウンドやりたいんですけど、教えて下さい」と言われることがあります。反面、その人が意外と、これまでに制作されたサラウンド番組を見ていなかったり、いろいろな文献、資料のことを知らないことに驚くこともあります。
ただ「やりたいやりたい」と言だけではなく、映画や他社の5.1ch作品を積極的に試聴したり、制作レポートを読んだりしながら、先駆者たちの技術を吸収することも重要だと思います。
その点、NHKさんであれば、同じ職場の中にサラウンド経験者、先駆者の皆さんがいる訳で、それは私達からみて、とても羨ましい環境です。

●制作・収録・送出体制の確立
(“そこから先は知らない、関係ない”では実現不可能)
私は普段の仕事の中で、送出関係に関わることはありませんが、今回、サラウンド放送を実現するためには、送出系のことも知らなければなりませんでした。
 「自分の仕事は現場でミクシングすることで、5.1をどうやって送出するか?ということは関係ない」という考では、やはり関係者を説得することはできないと思います。
これはNHKさんでも同じ状況だと聞いていますが、BSデジタルの送出系は、恒常的にサラウンド放送に対応できていないのが実情です。
 運行、マスターの技術者は、決して音の専門家ではありません。
「こんど5.1をやるんだけど、どうやって送出すればいい?」と聞いても、「5.1って、何?」とぃう答が返ってきます。その方々に、きちんと説明して、どうやって6chを送出し、オンエアまでもって行くか?ということを音声エンジニアである自分がリードしていく必要がありました。
BS朝日の5.1ch送出系統 
5.1ch番組の送出は、マスター室VTR、番組バンク、サブから送出可能
各設備は手動にて通常のVTR出力とドルビーE出力を切り替える
今後、新たに設置する設備に関しては8ch対応のVTRを利用することも検討課題


●5.1→2ch
ダウンミックス
映画やDVDとは違い、放送の大半の視聴者は、まだステレオ聴取です。
BSデジタルでは、サラウンドで放送されたものを受信機側で2chにダウンミックスするのが前提ですから、制作、ミクシング段階から受信機側のダウンミックスの仕組みを把握しておくことが大切です。
「パンクラス」の5.1の実現を目前に控えた2001年7月に、どうすれば魅力ある5.1サラウンド放送ができるか?というテーマで、テレビ朝日の技術局とテレビ朝日映像の技術局が共同で、試聴会とアンケートを実施しました。
試聴会の素材は、「パンクラス」を試験的に5.1で収録したものを使っています。
確かに5.1で聞けば素晴らしいのですが、それを擬似的にダウンミックス2chで聞いたとき、従来からのステレオ2chで制作したものより劣るという結果がでました。
これは、まだ受信機のダウンミックス係数についてあまり考慮してミクシングしていなかったことが原因です。5.1で制作する際に、受信機側のダウンミックスの仕組みを勉強して、ダウンミックスを視野に入れたミクシングを行えば、双方のコンパチビリティは取れるものと考えました。


●ダウンミックスの仕組み
右図は、ダウンミックスの概念図です。
センターチャンネルは、1/√2をかけてL、Rに振り分けられます。
リア(SL、SR)はフロントL、Rとミックスする訳ですが、そのままのレベルでミックスするのではなく、あるダウンミックス係数に基づいてレベルを下げてミックスします。
この係数をkといい、送出側で規定することができます。
更にダウンミックスしたトータルレベルが上昇することを考慮して、aという係数に基づいて抑えています。
しかし、ダウンミックスの各パラメータ設定は、BSデジタルチューナーの各メーカーにおける商品企画マターとなっており、統一規格がないということが、実は私たちミクサー泣かせな部分なのです。
 そこで、各メーカーが、実際にどんなダウンミックス方式を採用しているか調べて見ました。

受信機メーカー各社のダウンミックス手法

送出側のダウンミックス係数「k」にしたがってミックス処理    5社
送出側のダウンミックス係数「k」にかかわらず固定のミックス   2社

(k=1/√2固定)


「a」の値、「k」に依存して変化                0社

「a」の値固定            1/√2           5社

1/(1+√2)                          2社
疑似サラウンド(pseudo_surround_enable=1)のとき
set1,set2を選択可能 0社

set1 固定                                       5社

set2 固定(pseudo_surround_enable=0 時も同じ)            1社
不明                                   1社


上記のように各社まちまちですが、私が「パンクラス」をMixするときの目安として、現在、一番市場に出回っていると考えられるメーカーの設定を指針としました。
そのメーカーのチューナーでは、kの値は送出側の設定に従ってダウンミックスを行います。現在、BS朝日ではダウンミックス係数k=0.5固定ですので、現場でMixするときに、5.1でMixしたものをもう一度卓へ立ち上げ、この係数で2chにダウンミックスする系統を組み、5.1とダウンミックス2chを切り替えてモニターできるようにしています。
こうして5.1とダウンミックス2chを聴き比べながらMixし、コンパチをとるようにしました。
 ダウンミックスの最大の課題は、やはり制作側、メーカーが共に協力しあい、統一した規格でダウンミックスが行えるようにすることです。
現在、NHKの皆さんの協力も頂いて、各局で「ダウンミックス検討会」という集まりを行っており、将来的にはチューナーメーカーに統一したダウンミックス方式を採用してもらえるような働きかけを行っていく動きがあります。

●無音時間の問題

ダウンミックスと並んで問題だったのは、「無音時間」です。
民放では必ずCMが挿入されます。CMは通常、2chステレオですから、放送本編(5.1)との間で音声モードを切り替える必要があります。
 この際、送出側、受信側で下記のような「無音時間」が発生します。
無音時間
STD-B20
「全ての音声パラメータ切り替えは、音声エンコーダに0.5秒以上の無音を入力した状態で行われること。なお、将来的には無音時間を短くできる可能性を考慮すること」
TR-B15
「・・入力信号において、切り替え時に0.5秒以上の無音を挿入すること。ただし、マルチステレオが関係する切り替えにおいては(TBD、たとえば1.5)秒以上の無音を挿入する事。」
CMにはぎりぎりまで音が入っていて、本編に切り替わった直後にドンと音が出るというケースが多い民放では、この「無音時間」は大きな問題となります。
現在BS朝日(送出側)の設定では、5.1chの関係する切り替えは、前0.5秒、後1.5秒の無音時間が生じます。これは改修でもっと短くすることができるのですが、いくら送出側でミュート時間を短くできても、チューナー側で生じるミュート時間はそのままであり、無音時間を完全にゼロにすることはできません。
 その対策として、5.1chモード切替の場合は、CMの前に2秒の無音時間を設け、そこでモード切換を行うことでCMを守るという方法をとっていますが、実際には本編の終わりがきっちり2秒の無音というのは難しく、3秒以上の無音のバンパー(自社ロゴ)をいれています。


●編集、送出関係者に理解を得ることの重要性
NHKさんでは「サラウンド収録したときのVTRテープの運用はこうする」といったインフラが整っているかもしれませんが、民放の場合はまだ浸透していないのが現状です。
例えば、今回の「パンクラス」での素材運用の方法として、VTRの1,2chにはダウンミックスを、3,4chには5.1をドルビーEで記録しておき、編集はダウンミックスを聴きながら行い、完成後、エンコードする際に差し替えるという方法を提案しましたが、これは制作をはじめ、マスター、編集、編成、テープ管理といった方々に理解してもらわなければ実現できないことです。
彼らは音の専門家ではありませんから、音声エンジニアである私が各部署に何度も通って、理解を求めていく以外に方法はないことを痛感しました。
「自分は現場でMixするだけで、その後のことは関係ない!」という考えでは、ボスを説得することはできないのです。

2. その後の展開~音楽ライブでの挑戦~

●BS朝日9月8日OA メはっぴいえんどトリビュートLIVEモ5.1chサラウンドで制作・OA
 「パンクラス」は2002年3月で放送を終了してしまいましたが、この経験を是非、次に生かしたいと考えていたところに、音楽ライブで5.1サラウンドを制作するチャンスがめぐってきました。
 音楽番組は私たちミクサーにとって、なかなか難しいジャンルですが、5.1制作のチャンスには何でも食らい付くという精神で取り組んでいた私にとっては、またとないチャンスでした。
 この「はっぴいえんどトリビュートライブ」は、もともと私と仲の良いプロデューサーと共に、企画段階から関わっていたのですが、やはり予算はありません。でも、そのプロデューサーが、「じゃ、お前が技術を全部仕切ってやってよ。それなら5.1サラウンドでやってもいいよ。ぜひやってみようよ!」と言ってくれたのです。
 この番組で、私はTDという立場で関わり、トータルの予算も含むコーディネートを行いました。
 本当に予算が少なく、キャメラマンにはかなり泣いてもらっていますし、音声も泣いているのですが、各セクションが「5.1サラウンドでやろう!」ということに理解をしてくれました。

●基本は「バラック?」 倉庫でトラックダウン

音楽番組でサラウンド制作する場合、やはり現場一発Mixという訳にはいかず、トラックダウンが必要ですが、5.1に対応するトラックダウンスタジオを借りる予算など、当然ある訳がありません。
 収録は「パンクラス」でも使用した我社でたった一台しかないソニーのディジタルミクサーを使い、DA-98にマルチ収録しました。
それをテレビ朝日映像に持ち帰り、会社の倉庫に、収録で使ったソニーのディジタルミクサーを中心に5.1サラウンドMix環境をバラックで組み、トラックダウンしています。


3. さらなる前進
日本シリーズ「西武vs巨人」~
サッカー「日本vsアルゼンチン」へ
さらに、10/29、31の西武ドームでの日本シリーズは、5.1で放送することになりました。

(西田 記)

以下、このセミナーの後、日本シリーズ終了後に届いた井上さんのメールから紹介したいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


【井上さんのメールより】
日本シリーズは残念ながら4試合で終わってしまい、予定していた第5戦は幻に終わってしまいました。
ご覧いただいた方もいらっしゃると思いますが、初めての生中継だった第3戦は、伝送、送出などに事故も無く、無事に5.1サラウンドでOAされてホッとしました。
が、肝心のミクシングに関しては課題を残しました。(中略) 第5戦では修正したいと思っていただけに、巨人の4連勝とは・・・これは是非次回に繋げたいと思っております。
今回の件で編成・営業の理解もより深まり、11月20日のサッカー日本代表VSアルゼンチンも、5.1サラウンド放送が実現できそうな状況です。


4. 質疑・応答
Q1. デモの中で、西武ドームの野球は、サラウンド収音をどのようなスタイルで行ったのですか。また、その中で、どのような問題点がありましたか?
A. 
デモでお聞き頂いたのは、2002年6月の段階で試験収録したものであり、まだ解決しなければならない問題が多くあります。
ステレオの場合、ベースマイクはバックネット裏の高いところに置くという
のが基本となっています。サラウンドの場合も、この基本は変えずに行おうと
考えました。
サラウンドの基本マイクとして、「パンクラス」と同じようにM/Sマイクを前
後にダブルで置く方法から始めました。ドーム球場ですから、天井に置いたら
どうなるか?実際に天井の音を聞きに行ったのですが、逆に反響が多すぎて、
場内アナ等が「ぐしゃぐしゃ」になり、あまりはっきりしなかったので、放送
ブースの上のあたり、通常、ステレオマイクを置く場所に、サラウンドマイク
を立ててみました。
その位置にフロント、リアマイクを立てると、リア側は何もない状況になり
ます。そこで、前後というよりも上下に配置にしています。
フロント用M/Sマイクは少し上目を狙い、リア用M/Sマイクは放送席の真下
くらいを狙う、というマイキングです。相関関係が崩れるため、リア側にディレィを入れるといった工夫は必要になりますが、これでも球場の空気感は割と出ると感じました。
ミクシング全般の課題でいえば、スポーツの場合、常にサラウンドになって
いると、メリハリがなくなり、聴く側が「飽きて」しまうことです。
 そこで、客席の通路(売り子が通る)に無指向性マイクをペアで置き、売り
子の「ビールいかがですかー!」といった声が通るような効果を加えてみまし
た。これは、緊迫した場面では使えませんが、イニング間等で生かせば、かな
り変化が付けられると思っています。
 ただ、観客がメガホンを叩いて応援をしている場合、このマイクを上げるこ
とは難しくなります。メガホンを逃げるため、マイクを高くセッティングする
と、売り子の声や「ヤジ」が拾えないことになりますので、今度の日本シリー
ズ本番では、この通路マイクを1,3塁側に用意しておき、守備に回っている
側(あまりメガホンを叩いて応援していない)を使って、売り子の声を拾おう
と考えています。
 更に、デモの中でもありましたが、途中でインサートされるVTR(リプレ
イ等)は、あえてステレオにしておくことで、「VTR明け」で現場音が入ると
パッとサラウンドに広がるという効果を狙っています。
 日本シリーズ本番では、映像と連動して、よりメリハリある音づくりを行い
たいのですが、そのためにマイク本数も、もっと増やす予定です。


Q2. デモにあった「はっぴいえんどトリビュートライブ」で、あるフレーズでヴォーカルをサラウンド側に動かしていましたが、どのような狙いだったのですか?

A. 通常、音楽ライブでは、あまり音源を動かすことはないと思います。
 今回、一緒にやったプロデューサーが、5.1サラウンドでやっていることを売りにしたいという希望もあり、曲を選んで、思い切った作り方をしてみました。
 デモの中の1曲目「台風」という曲のイントロは、ギターが「風のイメージ」表現していますので、これをグルグル回し、更にヴォーカルも「きっかけ」の歌詞で、後ろへ吹き飛ばされるようなイメージを作ってみました。(何回も聴いていると、やっぱり違和感を感じるかもしれませんが・・・)

Q3. 「パンクラス」の場合、アップでのパンチの音でLFEも使われており、迫力があったのですが、実際にLFEを作るときに注意している点は?

A. サラウンドの場合、どうしてもリアスピーカーの使い方に気が行きますが、本当の5.1の魅力はサブウーハーにあると思います。
 「パンクラス」では、前述のようにリング下のマイク等でLFEを得ていましたが、ここで注意しなければならなかったのは、サブウーハーの生かし方です。
 現場では、PAのカブリや選手の歩く足音等で、LFEを聴かせたくないところでもサブウーハーがゴロゴロとなってしまうため、必要のないときは、サブウーハーへ信号を送らないようにコントロールする必要がありました。
実際にはディジタル卓のゲートを使い、LFE用マイクのインプットで切っています。

Q4. 「パンクラス」「野球」は、実況コメントをハードセンターに加えてLRにも「こぼし」ていましたが、これはどのようなアプローチを経て、そのようになっていったのでしょうか?

A. 「パンクラス」では、最初に実況はハードセンター、リングノイズをファンタムセンターという形で作ってみましたが、実況だけハードセンターにすると、何となく「浮いて聞こえる」というか、ちょうど実況だけが「小さいところ」から聞こえてくるような感じがしました。
 画面に映っているものがハードセンターにあると、すごく定位感が出て良いのですが、実況は、全ての音より「前」にいるべきものであり、その点でハードセンターだけにすると何となく違和感があったのです。
 もう一つは、実況をハードセンターのみとした場合、ダウンミックス2chを聴くと、すごく前に聞こえて、非常にうるさく感じました。
5.1でファントムセンターで作ったものは、ダウンミックスしても変わらないのですが、5.1でハードセンターで作ったものは、1/√2でL、Rに振り分けられた場合、ダウンミックスされた他の音との位置関係が変わってしまうように思えたのです。
 そこで、デモで聴いて頂いたように、実況をハードセンターにおいた上で、L、Rに50%のダイバージェンス(漏らし)を行う方法に変えました。
 逆に、映像に映っているパンチの音やリングノイズ、野球のPC収音マイクはハードセンターに置き、実況はL、C、Rに配置するやり方です。
 今日、このセミナーの前に、西田さんが担当されたFMシアター「アンチノイズ」を聴かせて頂きましたが、やはり通常のセリフはハードセンター、モノローグをL、C、Rに配置しており、同じようなアプローチをしていると感じました。


まとめ

デモで上映させて頂いた素材は、DVDに焼いたものです。
私は、このDVDを持ち歩き、制作プロデューサーやスポンサー各社を回って、プレゼンを行い、5.1サラウンドの素晴らしさ、可能性をアピールしています。
そこで、また最初にもどってしまいますが、5.1を実現するためには、やはり「ボスを説得しろ!」ということが一番大切です。
デジタル放送が始まって2年、まだこの時点でもサラウンド番組は少なすぎると思います。これは音声マンである私たちにとって、少々まずい状況ではないでしょうか?
DVDの普及に伴い、どこの電気店でもホームシアターを売りにしていますし、安価なサラウンドシステムも売れています。あとはソフトさえ整えば、サラウンドを普及させる千載一遇のチャンスです。
折角、サラウンドシステムを買ったのに、BSデジタルの番組表を見たら、サラウンド番組がない・・あっても月に1~2本というのでは、やはりサラウンドは普及しないと思います。


最近、同じ音声エンジニアの間で、「俺も5.1をやれと言われたときのために勉強しなきゃ」というセリフを聞きますが、ただ待っているだけでは駄目なのではないでしょうか?
5.1サラウンドの素晴らしさを一番知っているのは、何と言っても私たち音声エンジニアです。そのエンジニアが先頭に立って「ボスを説得」して、多くのサラウンド作品を作り、放送していくことが、サラウンド普及の原動力になると思います。
生意気なことを言いましたが、私もNHKのサラウンド番組をもっと見て、ミクシング技術のグレードをあげたいと思っていますし、今回のセミナーを通して皆さんと知り合えたことで、お互いに情報交換、意見交換の行っていきたいと考えています。
共に魅力ある5.1サラウンド番組を創っていきましょう!
 ご静聴ありがとうございました。

「サラウンドめぐり 井上哲 (テレビ朝日映像)」
「サラウンド制作情報」 Index

「サラウンド入門」は実践的な解説書です

No comments:

Post a Comment